比較映画作品論

気まぐれに、いくつかの映画作品を比較しながら、感想を書いています。

『フォレスト・ガンプ』と『ドラゴン/ブルース・リー物語』、『プライドと偏見』と『ラブ・アクチュアリー』

今回は、作品そのものを比較したものではありません。

それどころか、比較すらしておらず恐縮なのですが、共通性のある2作品を取り上げます。

 

映画のサウンドトラックには、名曲として映画史に残り、その後もその作品以外で多々、使用されるようになったものがあります。

そういう名曲を聴くと、私などは「このすばらい曲を別の映画で流してみてもらいたい」などと思ってしまいます。

 

そう思うのは私だけではないようで、海外ではある映画のサウンドトラックを別の映画のサウンドトラックにする、まではしないのですが、予告に使っています。

 

■『フォレスト・ガンプ』と『ドラゴン/ブルース・リー物語』

そんな予告の中で今回1つ目に紹介するのは、『フォレスト・ガンプ』(1994・アメリカ)。

Forrest Gump - Trailer - YouTube

この動画では、0:48および2:00あたりから流れる曲。

これはドラゴン/ブルース・リー物語』(1993・アメリカ)のテーマソングです。

壮大さを感じさせる曲調で、ジェイソン・スコット・リーが演じるブルース・リーの半自伝を描いた作品そのものをイメージして作られているような気がします。

 

この曲が、トム・ハンクス演じる架空の人物フォレスト・ガンプの自伝を描いた作品の予告で、戦後アメリカ史の歴史的事件を背景に描かれるそれぞれのシーンとあいまって、やはり壮大さを演出するのに一役買っています。

 

■『プライドと偏見』と『ラブ・アクチュアリー

続いて2つ目に紹介するのは、『プライドと偏見』(2005・イギリス・アメリカ・フランス)の予告

Pride & Prejudice (2005) - Official Trailer - YouTube

1:15頃から流れる曲。

同作品はハノーヴァー朝のジョージ王治下、イギリスが最も栄える前、最も華やかだった時代(ただし主人公は華やかさに欠けるという設定)が舞台。

 

一方で曲のほうの出典は『ラブ・アクチュアリー』(2003・イギリス・アメリカ・フランス)。

現代が舞台のラブ・コメディなのですが、大団円という結末にふさわしかるべく作られたのがあの曲です。

 

ちなみに、『プライドと偏見』で主役を演じたキーラ・ナイトレーは、『ラブ・アクチュアリー』にも出演しています。

 

■名曲はどの映画にあっても名曲

いずれも、なんと一方の映画が作られてから1、2年後に他方の映画が作られています。

 

少し前にヒットした映画のサウンドトラックなら人々の記憶にも新しく印象もよいだろうから、新しい映画の予告にも使おう、という意図があったのかもしれません。

ですがそれにしては、まるでその映画のために作られた曲かのように、予告でもばっちりとおさまっている。

映画史に残る名曲は、別の名画の背後に流しても名曲のまま、輝くのでしょう。

 

■ちなみに・・・

私が転用したいサウンドトラックをなにか1つ挙げるとしたら、グウィネス・パルトロー主演でジェイン・オースティン原作の『Emma エマ』(1996・イギリス)のサウンドトラックから“End Titles”を、

Emma 18. End Titles - YouTube

ブリジット・ジョーンズの日記』それも2作目のエンディングに使ってみたいものです。

 

とはいうものの、ブリジット・ジョーンズの日記自体がオースティンの『高慢と偏見』が下敷きにあって、エマともあながちかけ離れた作品ではないので、たいした工夫のいらない発想でした。

 

 

『ファイト・クラブ』と『12モンキーズ』、『アメリカン・ヒストリーX』

第1回は、

ファイト・クラブ』(1999・アメリカ)です。

 

主演は、エドワード・ノートン

準主演は、ブラッド・ピット

 

本作は、ストーリーについてはまったく何も知らずに観たほうがいい。

ですのでここでもストーリーには一切触れません。

 

今から20年も前の作品ですが、名作です。

ブラッド・ピットが、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)の頃の甘い印象から、『セブン』(1995)や『12モンキーズ』(1995)を経てやさぐれて辿り着いた役が、本作のタイラー・ダーデンでしょう。

 

前半で着ている、おそらくレザーの赤いジャケット(ブランド不明)がかっこいい。他はカルバン・クラインのシャツ、アルマーニのネクタイ、ダナ・キャラン・ニューヨークの靴(劇中の台詞より)。

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タイラー・ダーデン

しかしタイラーは退廃的な人物。

 

退廃的でありながら、消費社会に疑問を持つタイラーが創設したクラブは結社となり、世界を変えようとします。

これは、『12モンキーズ』でピットが演じたジェフリーに通じるものがあります。

ジェフリーは、精神病患者ですがやはり自分たちが正しいと思う目的のために世界を変えようとする人物です。

(本作に限らず、アメリカの映画では、現在の既成の世界を変えるには、一度すべてを破壊するしかない、という考え方をする登場人物が多い気がします)

 

エドワード・ノートンが本作公開の前年である1998年に出演した『アメリカン・ヒストリーX』では、アメリカのネオ・ナチストを演じています。

ネオ・ナチストは頭髪を丸刈りにすることが特徴ですが、ノートン丸刈りにして登場します。

 

ファイト・クラブの構成員もまた丸刈りにしています。

そんなわけで、まるでエドワード・ノートンブラッド・ピットが出演したそれぞれの上記の過去の作品から結社の要素を抜き出して一つにしたような作品になっていると、私は感じました。

 

なお、エンディング曲はピクシーズの『Where is my mind』で、

作中の退廃的でありながら共感できるような雰囲気に、よく合っていました。

私がこれまで見た映画のエンディング曲ベスト10に入れたいと思います。

 

 

 

「比較映画作品論」

「比較映画作品論」

 

 

このブログのタイトルでもあるこの言葉。

比較言語学や比較政治学など、頭に比較と付く学問は、同じ種類にあるものを比較することで解釈を試みるものです。

これを参考として、わたしも複数の映画作品を比較することで、その作品を独自に解釈するべく、“比較映画作品論”という言葉を造りました。

“比較映画作品学”ではない理由は、学というほどのものではないからです。

 

比較映画作品論では、

対象の作品について、題材、筋書き、俳優、時代背景、衣装、台詞、制作背景、などの様々な観点から比較します。

どの観点を選ぶか、何を論題とするかは、わたしの気まぐれで決めます。